2010年10月10日日曜日
今でも小学女子の夢は芸能人(女優・アイドル)なのだろうか?
こちらの男性が、このたび広末涼子さんがご再婚されたお相手の方なのだそうだ。
そしてミムラさんは、こちらの方とご離婚なされたのだそうだ。
私の感覚では、夫婦生活の選択肢として「離婚」があるのは、身のまわりに離婚の事例がある人だけのように思える。
例えば親が離婚しているとか、兄弟姉妹の中に離婚した人がいるとか、友人知人の中にいる、とかである。
アメリカの映画監督・プロデューサー氏が書いていたが、優れた演技力を持つ俳優のほとんどは、親が離婚した経験を持っているのだそうだ。また、日本の芸能事務所の社長さんは、お笑いとして成功するのはいじめられっ子か使いっ走りだった奴、というようなことも言っていた。
どうしてなのか、その理由は誰にでも容易に察しがつくだろう。
彼ら彼女らは皆、子供らしい子供時代を過ごすことができなかったのだ。
言ってみれば、育児放棄された白くまの子、愛媛県とべ動物園のピースであったりドイツ・ベルリン動物園のクヌートのようなものだ。
人工飼育された子熊は非常に愛らしい。
これは、子熊がもともとそういう動物だということなのだろうか?
そうではない。実は、人間に飼育されているうちに、どういう振る舞いや判断をすれば、安全でかつ食べ物を得られるかを学んだ結果なのだ。
同様のことが、親が離婚した子や、学校でいじめられている子には起きている。
彼ら彼女らは、どういう表情や振る舞い、立ち位置、が周囲にどう影響し、どう受け止められるかを経験的に学習している。それができなければ、もしかしたら生命が危険にさらされていたかもしれない(虐待死や自殺という痛ましい事例は枚挙にいとまがない)という環境で、体得しているのだ。
彼女たちが“安易に”離婚してしまうのは、ひとつには離婚に対するハードルが低いことと、もうひとつは結婚を決断する際に、「そうした方が嫌われない、あるいは、安全である」という幼児期成長期に染みついた判断基準が働いてしまうからだ。
結婚を支えているものが、「家庭」であるとか「愛」ではなく、「自分の身の安全」である以上、自分の身が危うくなったり、あるいはより安全になる新たな環境・条件が見つかったら、結婚の危機(つまり離婚間近状態)をどうにかして乗りこえようとするよりも、それを切り捨ててしまおうという理屈の方に正当性を見出してしまう。彼女の中では、ずっとそうして成功してきた、生き抜いてきたという経験が、判断の整合性を揺るぎないものにしているのだ。
「あの娘って男運ないよね」
これは間違っている。正しくは、
「あの娘って家庭運ないよね」
なのだ。
でもだからといって幸せじゃないってことじゃない。←ここ重要!
そういう状況で生きることに彼女たちは慣れてるのだし、実はその方が楽なのだ。
ピースやクヌートを野生に放し、白くまらしい幸せをつかんでね、と言ってもちっとも幸せそうじゃないのと同じ。
大女優、伝説的芸能人には、私のような凡庸な人生とは違うそれ相応の人生というものがある。
ですからどうか広末涼子様、またのご○○を期待しております。
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