2010年10月12日火曜日

プ~ラチナ世代

プラチナ世代という言葉を耳にする。

黄金世代というのならわかる。

ゴールデンエイジの和訳だろうと想像できるからだ。

ゴールデンエイジというのは、人間の発達においてもっとも重要とされる期間のことである。
一般に「ゴールデンエイジ」とは小学校高学年の9-12歳期を指し、その前を「プレ・ゴールデンエイジ(プレシーズンのプレと同じ意味)」、その後を「ポスト・ゴールデンエイジ(ポストシーズンのポスト)」と呼ぶ。

ゴールデンエイジがなぜ発達段階で特別なのかというと、ハードとしての神経系の発達がほぼ整い、筋肉や重心など全身バランスを微妙に協調させるような体の使い方を最もよく学習・吸収できる、つまり質の良いソフトを整備できる、一生で唯一の期間だからだ。

「プレ─」の段階では、正確なこと、細かいことを教えても、そもそも体の設備としての神経系がまだ未完成なので、うまくいかない。部品の足りない自動車を走らせるようなもので、運転が向上するどころか思わぬ事故を引き起こす危険さえある。サッカーの指導に限れば、この時期にはサッカーボールで遊ぶ楽しさを中心に、子供たちの発達をうながして欲しい。

「ポスト─」の段階では、神経系ではなく骨格や筋力が爆発的に成長する。
精神的にも、子供から大人への移行が始まり、また個々の成長速度にも目に見えるくらいの差が生じる。感覚と実際の体の動きにも誤差がでる。パソコンを買い換えたら、これまで使っていたソフトが前みたいに使えなくなったりするのと、とても似ている。この時期の指導には細心の注意が必要となる。私生活で問題を起こしたり、サッカーからドロップアウトしてしまうのも、この時期が最も多い。別に人生はサッカーがすべてではないのだから、サッカーから離れてしまっても、それはそれでありだとは思うのだが、その子というひとりの人間の少年時代に、まがりなりにも「指導者」としてかかわったのだから、「バイバイ=はいそれまでよ」では、人間として彼らの先輩でもあるひとりの大人として、無責任で男としてもかっこわるいように私個人としては思う。別に親子でもない他人の人生を全部面倒見ろと言う気はさらさらないが、風の便りに危なそうな噂を耳にしたら、後輩たちの指導の手伝いへ誘うくらいのことはしてもいいように思う。自分のことを気にかけてくれている大人がいるんだと暗に伝えるだけで、若者は間違った一線を越えずにこらえることができるものだのだ。


でもって脱線した話を本線へ戻せば、むかしワールドユースで大躍進した旧ユーゴやポルトガルや日本代表のことをゴールデンエイジ(黄金年代・世代)というのは正しい。そこだけが特別に飛躍しているのだから。

しかし、何の実績も残していない世代に期待を込める意味で、黄金世代だとかプラチナ?世代だとか用いるのは明らかに間違っている。まるで山から拾ってきた石ころを、「これは磨けば宝石になるんじゃ」となで回すようなものであって、周囲から見れば滑稽でしかない。

U-19世代日本代表が、前回に続いてワールドユースへの出場権を逃した。もう彼らをプラチナ世代だとか呼ぶのはやめてあげたらどうだろう。

天才も二十歳過ぎればただの人とはよく言ったものだが、このまま彼らを「プラチナ世代」だとか「黄金世代を超えた!」などと持ち上げていたら、いつしか「プラチナも十五過ぎれば谷の底」などと揶揄される存在となってしまうことだろう。そんなことは、彼らも、また彼らを指導してきた者たちも、のぞんではいないはずだ。



読売巨人軍の前身である、日本初のプロ野球チームが誕生したのは、1934(昭和9)年12月26日。その日からイチローが生まれるまでには39年がかかっている(イチローこと鈴木一朗選手の生年月日:1973年(昭和48)10月22日)。

1993年(平成5)5月15日、国立競技場でJリーグ第1戦ヴェルディ川崎対横浜マリノスがキックオフされた。

それからまだ17年しか経っていない。倍にしてもまだ34年だ。

一流プレーヤーとして世界の多くのサッカー関係者や子供たちが名を知るくらいの、本物の天才が日本に誕生するまでには、まだまだ時間がかかるだろう。
もっと余裕を持って、今の選手たちを応援する覚悟が私たち日本でサッカーを愛する人間には必要なのだと思う。

2040年のある日、その子は、日本のどこかの少年サッカーチームに入団することだろう。そしてそれから数年後、私たちは初めて同じ血を持った『本物』を目にすることになる。私はその瞬間が待ち遠しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿