2010年10月30日土曜日

ん? だって無縁社会にしたかったんでしょ?

昨夜遅く、やることをやってからふとテレビをつけると、NHKスペシャルの再放送をやっていた。

2010年10月30日(土)  午前1時15分~2時13分 (29日深夜)総合
無縁社会 ~“無縁死”3万2千人の衝撃~
初回放送 2010年01月31日(日)

2010年10月30日(土)  午前2時15分~3時04分 (29日深夜)総合
消えた高齢者“無縁社会”の闇
初回放送 2010年9月5日(日)

核家族化を進め、地方を干上がらせて都市を肥やし、家族の役割を否定し、家制度を解体し、勤め人が有利な福祉制度にした上で、長寿社会を作ったら、当然のこととして勤めを失った高齢者はぽつんと一人っきりになる。
これは別に、結婚していようがいまいが、子供が何人いようがいまいが、資産があろうがなかろうがに関わりなく、「個人」が一番という社会の当然の帰結なのだ。だって「個人」なんだから。

生物学の面から言えば、「個」で生存できなくなった個体は死ぬのが自然なのだ。
群(むれ)で生きているように見える種であっても、それは「個」で生きられてこその「群」なのだ。海を渡る白鳥は、弱った仲間を背負ったりしないし、イワシもアジも傷ついた仲間を守ったりしない。弱れば群から落ちこぼれるだけなのだ。これが「本来の自然」なのだ。

番組の中である男性が、「近所の人は困ってることがあったら何でも言ってねっていうけど、お金の相談まではのってくれない。でも困ってるのはお金のことなんだ」というような内容のことを話していた。
しかしこの男性は気づいていない。なぜこの男性が、年金の不正受給(父親の死を隠していた)で逮捕されるような事態になったのか、を。
番組から私が理解したところでは、実はこの亡くなった父親に年金収入があったこと、このことが彼の周囲にこんな状況を作り上げてしまった根本原因であるように、私には思えた。
番組ではまるで、年金詐取が明らかになったことで表面化した「無縁社会の一端」が問題であるかのごとく報じていたが、実際の問題はそのはるか昔、多額の医療費がかさんだという母親の闘病にこそあったのではないだろうか。
母親はその後死亡、ひとりいた妹も直後に病死したのだという。そして父親が事故で歩行困難となり、また痴呆の症状も見せ始めた。こんな状況になったら、他に家族が何人いたとしても、生活はそうとう制限される。まして彼はひとりきり。日々、生きるだけで精一杯で、それ以上はどうすることもできなかっただろう。

「個人優先の社会」「核家族社会」の価値判断に拠(よ)れば、重病になった母親は病院に押しつけてしまうのが正解だった。病死した妹のことは忘れ、介護の必要になった父親も切り離してしまう、それが正解だったのだ。
まさに家族との縁さえ切ってしまう社会、これが「脱家族社会」とも呼ばれる、蓮舫氏や上野千寿子氏の信奉する「家族否定主義」「個人至上主義」による未来の社会だ。
でもちょっと待って欲しい。
これって……まさにこれって「無縁社会」そのものなんじゃなの?

家族がいて、職業があって、収入があっても、問題の根本は解決しない。
なぜならそれらは、あくまでも周辺状況、間接条件に過ぎないからだ。
年間の自殺者3万人超をどう見るか。
陰湿ないじめるよる若年層の自殺、集団リンチによる殺人。
あるいは迷惑110番。あるいは不法投棄。あるいはオレオレ詐欺にリフォーム詐欺。

これらはみな、日本村と呼ばれ欧米と比較された日本人のプライバシー観、封建的とバッシングされた日本の家族の在り方、無個性な集団主義と否定された日本の企業文化、などが崩壊した証としての「個人社会」の萌芽(ほうが)だろうと私は確信している。

迷惑110番で、どんな影響が周囲・社会に及んでも「私」には関係ない。
「私」にとって唯一重要なことは、「私」という「個人」に関わる「私の問題」「私の不満」を解決することだけだから。

113歳の女性の消息が家族でもわからない、という事例がこの番組の象徴として紹介されていた。
79歳になるという娘が、番組の取材を受けていた。
なるほど、と思うところもなきにしもあらずではあった。
けどちょっと待った。
113歳のお母さんって人は、番組で演出されていたみたいに、本当に不幸なのかなあ?
面倒な負担(家族)から解放されて、それこそ自分の人生を納得して過ごしている可能性だってないわけじゃないじゃないか。

自分の家でカップ麺すすって、それの何がいかんというのだNHK。
あの長嶋茂雄さんだって、田園調布の大きな家で倒れて、同じ屋根の下に奥さんすぐ近所に長男家族がいたにもかかわらず、運転手さんに発見されるまでそのままだったんだよ。派手でにぎやかそうに見えていたって、実際の人生では幸せかどうかはわからない(長島さんがそうだって意味じゃないよ。隣の芝は青く見えるものだってこと)。

ちなみに、私が理想とする最後は行き倒れです。
落語の『粗忽長屋』に出てくる行き倒れみたいに、死んだ後おもちゃにされるくらいの死に様がいいと思ってます。
あんまり深刻なのはいただけません。
アイスマンみたいなのがいいですね。
5000年くらいあとになって、腹の中をさぐられて、「当時のアジア人は、偶蹄目(ぐうていもく)系の哺乳類を補食していたらしい」とか分析されちゃったりする。実際は牛丼食べただけなんだけど、そういう記録が一切消滅してしまった未来では、牛丼なんて食べ物を想像することができないのだ!

それにしたってさあ、これからますます寒く、暗くなるっていうこの時期に、無縁社会だとかネットカフェ難民だとか派遣テント村だとかっていう特番を毎年毎年シリーズで放送するNHKってのは、ホント、嫌な性格してるよなあ、と思う今日この頃なのであった。

【アイスマン】
アイスマンは、アルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツィ谷(海抜3210メートル)の氷河で1991年に見つかった、約5300年前の男性のミイラの愛称。作りかけの弓矢や、精錬された銅製の斧を所持していた。遺体や遺骨の周辺や体内で見つかった生物の分析は、先史時代の人々の食生活や習慣に関する研究に新たな側面を追加しているが、アイスマンの場合、この研究は特に有益だった。考古学者たちはこれまでに、アイスマンの腸にいた腸内寄生虫と、虫下しに使用していたと見られる、樹皮に生えるキノコを確認している。

0 件のコメント:

コメントを投稿