2010年10月6日水曜日

現実の世界に「もし」はない




少年サッカー関係者に限らず、子供を車に乗せることのある運転者にとって、決して忘れてはいけない事件である。
そうではあるが、しかし──
ではこの悲劇を防ぐことができたのかといえば、答えはNOである。現実の世界に「もし」はないからだ。

毎日の日常でも、私たちは「もし」という選択肢を持つことはできない。ひとつを選択した瞬間に、他方の枝は跡形もなく消えてしまっているからだ。いや、厳密に言えば、私たちは「つかむことになっている枝」以外の選択をすることはできないのだ。

だから、「あのときああしていれば」と思いがちだが、「もし」その瞬間へ舞い戻ることができたとしても、私たちは同じ枝をつかむことしかできない。舞い戻った時点で「未来の結果」についての記憶は持っていないはずだからだ。もし持っていたら、その舞い戻ったところは、あなたが戻りたかった場所ではなく、非常によく似たまったく違う場所だ。

ここでさらに空想を進めて、自分だけが現在の状態のままで、戻りたい過去の場所へ自分だけが戻れたとしよう。つまり、自分以外の存在は「未来の記憶」を持っていないわけだ。
となると自分は、このあとどうなるかを知りながら、その行動や思考をなぞることになる。「ここでドアに足の小指をぶつけるんだよな」と知りながら部屋から駆け出す、ようなことを延々と続けるのだ。そうでないと、自分の持っている「未来の記憶」と、そのとき自分がいる現実の中での出来事が、異なるものになってしまう。
「もし」そのとき自分がいる現実が自分の知っている現実と変わってしまって、「ぼくは未来から来た。今の未来は本当の未来じゃない! 本当の未来はこうこうこうなるはずだったんだ。今の世界は間違っている!」と訴えても、耳を貸してくれる人はそう多くはないだろう。

わたしたちは現実の世界に生きている。
そして、現実の世界は「もし」のない、唯一無二の瞬間瞬間が出現しては消失している幻のようなものだ。
したがって、別の世界も別の過去も別の人生も存在し得ない。ただ、思いめぐらすことができるだけである。
しかしそれでも、忘れてはいけない過去というものはある。
なぜならその過去を忘れないために、私がここのその記事を載せることになっているからだ。
他に選択の余地はない。

-------------一部団体個人名は伏せ字-------------

 東京都練馬区の外環自動車道で平成19年12月、サッカーチームのマイクロバス(バスは、埼玉県ふじみ野市と同県川越市の小学生で構成し、同県川越市を拠点に活動するサッカーチーム「××××サッカークラブ(SC)」を運営する有限会社名義)のドアが開き、転落した埼玉県ふじみ野市立小5年の○○○君=当時(11)=が転落し死亡した事故で、バスを運転し、自動車運転過失致死罪に問われたコーチで会社員、□□□□被告(34)の論告求刑公判が20日、さいたま地裁(田村真裁判長)で開かれた。

 検察側は「わずかな注意を払えば事故は防げた」として、禁固1年6月を求刑した。

 判決は3月11日(平成21年 2009年)。

 検察側は「ドアの施錠を確実にするという安全確保を怠った。携帯電話で通話しながら運転していたときの事故で、児童の命を預かる立場について自覚を欠いた軽率な運転態度」と厳しく非難した。
 弁護側は「(吉崎君が)走行中、ドアステップに入り、ドアのステップ上でボールに座り、体がドアのレバーに触れたのがドアが開いた原因」と述べ、「稀有(けう)な例で事故は予想できなかった」

 論告に先立ち、○○君の両親が意見陳述。
 父親は「事故の説明を聞き、安全管理が全くなされていないことに呆然(ぼうぜん)とした。怒りを通り越してあきれた。引地被告が安全管理を怠ったことが事故の原因で、責任を取るのが当然」と述べた。

◇コーチに有罪判決

 「動静留意」は退ける東京都練馬区の東京外環道で07年12月、サッカーチームのマイクロバスのドアが開き、ふじみ野市の小学5年生が転落して死亡した事故。

 禁固1年6カ月執行猶予3年(求刑禁固1年6カ月)という、自動車運転過失致死罪に問われたコーチで会社員の□□□□被告(34)=川越市今福=へのさいたま地裁の判決に、亡くなった○○○君(当時11)の父△△さん(43)は「判決には満足。一つ区切りが終わったよ、と報告したい」と話した。

 田村真裁判長は判決で、ドアを施錠する義務を怠った点は認めた。だが、検察側が「被告がルームミラーなどで児童らの動きを確認すべきだった」と主張する「動静留意義務」については、「高速道路を走行中で、運転操作など高度の注意義務を負っていた被告に求めるものではない」などとして退けた。

 判決は「被告の過失は決して軽くない」と指摘。しかし、

(1)被告以外に成人の監護者を置かなかった会社の管理態勢にも問題がある

(2)他のサッカーチームのコーチや保護者が中心となって処分減免を求める嘆願書が作成され、2万7千人以上の署名が集まっている――ことなどから、執行猶予付きの判決とした。

 田村裁判長が「(○○君は)将来の夢や希望、可能性を一瞬にして奪われたのであって、痛ましいというほかない」と述べると、傍聴席の遺族からすすり泣く声が法廷に響いた。

◇「きちんとした結論に感謝」/男児の父親が会見

 「一番主張したかったドアの施錠について、きちんとした結論を出してくれたことに感謝しています」 閉廷後、記者会見に臨んだ△△さん。
 判決に満足かとの問いには、はっきりした口調で「はい」と答えた。

 生きていれば、○○君はこの春、小学校を卒業する予定だった。「1年3カ月前に亡くなってから、どうやって生きたらいいのか、わからなくなった。今でも引きずっている」。いまも○○君の友人たちが自宅を訪れ、最近の学校での出来事などを話してくれることに、勇気づけられているという。

 サッカーや野球などのクラブの運営者には、改めて「命を預かっているという認識を持ってほしい」と訴えた。 

 □□被告の弁護士は閉廷後、「判決については真摯(しんし)に受け止めております。今後の対応は、判決文の内容を検討した上で決めたいと存じます」との談話を寄せた。


◇同様事故防止へ 
 
 ドアレバー改良/トヨタ自動車事故が起きた車と同型のマイクロバスを生産するトヨタ自動車の東京本社によると、同じような事故を防止するため、今年1月以降、この車種のドアレバーに不意に体が触れても作動しないよう、囲いをつけて販売しているという。△△さんは会見中に同社の対策を知ったといい、「操作する人間のミスはなくならない。ハード面でカバーできればと思っていました。本当にいいことです」と話した。

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東京都練馬区の東京外環道内回り大泉ジャンクション付近で24日、マイクロバスのドアが開き、小学校5年が車外に投げ出され、トラックにはねられた死亡事故で、埼玉県警は25日、バスを運転していた同県川越市今福、会社員と、トラックを運転していた運転手の両容疑者を自動車運転過失致死の疑いで逮捕した。

県警高速隊の調べに対し、マイクロバスの運転手は調べに対し、バスの出入り口を「(ドアが開かないようにする)自動に切り替えていなかったようだ」と話していた。県警はドアが誤って操作された可能性もあるとみて、事故直前のドアのロック状況などを詳しく調べている。

県警によると、バスは06年の製造。ドアはスライド式で、開閉を手動と自動に切り替えるレバーが、運転席付近とドア付近にあった。

バスは埼玉県川越市を拠点に活動するサッカーチーム「××××サッカークラブ」を運営する有限会社名義で、マイクロバスの運転手は同社員。小学5年生は、茨城県かすみがうら市でのサッカーの練習試合を終えて出発する際、前から2列目のドア側に近い席に座っていたらしい。落ちる直前、ドアの乗降口にあるステップの部分にいたという。

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24日午後6時10分ごろ、東京都練馬区大泉町4丁目の東京外環道内回り大泉ジャンクション付近で、走行中のマイクロバス(定員29人)のドアが開き、埼玉県ふじみ野市の小学5年生が車外に投げ出された。少年は路上で、後続のトラックにはねられ、まもなく死亡した。県警高速隊はドアが開いた原因などを調べている。


バスのドアはスライド式で、車体左側の中央付近にある。開閉は自動と手動を切り替えられる型で、切り替え装置はドアの昇降口付近と運転席にあるという。

県警の聴取に対し、マイクロバスの運転手は「自動に切り替えていなかったようだ」と話しているといい、手動になっていた可能性が高い。死亡した少年はドア付近にいたらしい。


一帯は片側2車線と大泉の出口に向かうための側道のある区間で、バスは右側の本線を、トラックは左側の本線をそれぞれ走っていた。トラックを運転していた埼玉県入間郡内の会社員男性(25)は「バスから物が落ちてきて、トラックに当たったと思った」と大泉料金所の社員に通報してきたという。


走行中のバスから転落した事故は、

01年6月、宮崎県高崎町(現・都城市)の国道で、スイミングスクールの送迎マイクロバスの窓から小学2年の児童(7)が転落して死亡
05年3月、静岡県焼津市の東名高速で、愛知県美浜町の小学6年の児童(12)が観光バスの窓から転落し、後続の車にひかれて死亡
――などがある。

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それでも、子供が死んだという報道や知らせを目に耳にすると、わたしはどうしよういもなく胸が苦しく、つらくなる。
わたしの正直な気持ちとしては、お年寄りの年金や短期的な景気対策よりも、日本の子供たちのことの方に国は注力して欲しい。
子供たちは国の宝なのだから。

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