自分らしいプレーの見つけ方
自分らしいプレー(スタイル)は、どこを探しても見つからないだろう。
なぜならそれは、見つけるものではなくて、自覚するものだからだ。
シマウマが「ぼくだってライオンと同じことができる」と、葉っぱでたてがみのような飾りをつけ、体をカーキ色に塗装したところで、それはシマウマらしくないシマウマになるだけで、けっしてライオンになるわけではない。
同じように「ぼくはメッシみたいなドリブラーになりたい」と、強引にドリブルばかり繰り返したとして、はたしてそれは「自分らしいプレー」と言えるだろうか?
メッシやイニエスタ、そしてクライフやマラドーナがサッカー選手として大成するまで、この世界には、メッシもイニエスタもクライフもマラドーナも存在していなかったことを忘れてはいけない。
何かの真似をしようと思えば、習字でお手本をなぞるときのように、どうしても縮こまってしまう。
ましてや頭の中で「完璧なプレー」を想像して、それを目指してプレーすることばかり考えていたら、体なんてのびのびリラックスできるわけがない。
美容整形を繰り返す半島媚人(びじん)のように、欠点ばかりに目が行って、良いところに気づかないばかりか、最終的に自分の美点であったところまで切除してしまうことになるのだ。そしてできあがるのが、判を押したように同じような顔、顔、顔。もとい、選手、選手、選手。
自分らしさとは、むしろ自分が欠点だと思っているところのすぐ隣にあるものなのだ、と考えた方がいい。
シマウマで言えば、塗りつぶしてしまった体の模様がそうだし、メッシで言えば、あの身長の低さと脚の短さ(胴の長さともいう)だ。
ボール扱いがどうしてもうまくならないという選手なら、ボールに触らないプレーを極めればいい。それはポジショニングであったり、コーチングであったり、ダイレクトプレーであったり、ヘディングであったり、フリーキックであったり、そして走力や筋力であったりするかもしれない。
スピードのない選手なら、キープ力やパスの精度を極める。状況判断の悪い選手なら、それを補うスタミナとルーズボールへの執着やハードマークなどを極める。
サッカーのプレーでは、手を使ったプレー以外のことならどんなことだって可能なのだ。
あなた以前に、あなたと同じプレーヤーは存在しなかった。
あなた以後に、あなたと同じプレーヤーも存在しないだろう。
あなたには欠点などないのだ。
あるのは自分らしいプレーと自分らしくないプレーだけ。
どんなに憧(あこが)れているスタープレーヤーであっても、それはあなたではない。
敵のボールは奪(うば)い、味方のボールは奪われない。このことのために自分にできうる最善を突き詰めることによってのみ、自分らしいプレーは自然と体現してくるものなのだ。
これを自覚できたとき、ちいさな少年サッカー選手はおおきなサッカー選手となる第一歩を踏み出したことになるだろう。
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