2010年11月5日金曜日

無念

秋田・弁護士刺殺:犯人誤認のすきに 「離婚調停で恨み」

県警によると、捜査員が津谷さん方に駆け付けた際、津谷さんが菅原容疑者から取り上げた拳銃のようなものを手にしていた。このため、捜査員は津谷さんを取り押さえようとし、津谷さんが「おれは違う」と叫んだすきに、菅原容疑者が刃物を取り出して捜査員に突進。捜査員は避けたが、近くにいた津谷さんが刺されたという。死因は失血死だった。加藤健捜査1課長は「短い時間の出来事で厳しい現場だった。対応に落ち度はなかった」と説明している。



神奈川県警、ミス認め謝罪 埼玉おじ殺害の2人再逮捕

神奈川県警が2008年に事故死と処理した女性への殺人容疑で埼玉県警が4日に男2人を再逮捕したことを受け、神奈川県警の井本昇捜査1課長は同日夕「現場に居合わせた関係者の供述をうのみにし、事件性がないと判断した」と説明、事件性を見逃したミスを認めて謝罪した。

 神奈川、埼玉両県警によると、08年3月13日午前11時40分ごろ、神奈川署が消防からの連絡で被害者の安川珠江さんの死亡を認知。署員ら5人が現場に向かったが、水死の所見のほかに外傷がなく、新井竜太容疑者が「飲酒して風呂で寝てしまうことが多く、前夜も遅くまで飲酒していた」と供述したため、事件性がないと判断した。翌日、監察医が遺体を検案したが、解剖は実施されなかった。

 また、同年7月、同署に保険会社から安川さんにかけられた保険について問い合わせがあったが、担当者は犯罪の疑いを持たなかった。

 井本捜査1課長は「供述をうのみにして周辺捜査を怠り、解剖をせずに水死の背景を発見する機会を失った。捜査が甘かった」と謝罪。検視官の現場への出動を積極的に行うなどして再発防止に努めると説明した。


 約4カ月後の同7月、損害保険会社から同署に事件性の有無について相談があり、県警は被害者の保険加入を知った。だが、「事件性無し」と回答し、今年10月上旬に埼玉県警から連絡があるまで判断を変えていなかったという。


--------------------------------------------------
さぞや無念であったろうと思う。
ご冥福をお祈りしたい。

さて、実はこれらと似たようなことは、日常的に起きていたことをご存じだろうか。
それは交通事故の現場で起こっていた。

被害者が死んだ場合や、加害者側に警察関係者がいたりすると、事実は簡単に隠蔽され、証拠は操作されてしまう。
まさに「捜査活動」ではなく「操作活動」が、当然のごとく、まるで慣行なのかのように繰り広げられる。
そうしたことを生んでしまうのは、警察心理に、交通事故はあくまで「事故」であって「事件」ではない、という価値基準があるからだ。
また事故処理は、内部評価(人事)のポイントが低い。
要するに、やる気が出ないのだ。

このようなモチベーションの低下が交通事故案件だけではなくなってきているところに、警察の抱える病根の深刻さが増してきているのではないか、という危惧を私はおぼえてしまう。

元々、警察官は、国鉄職員とならんで、頭よりも気合い、体力、で採用される職場だった。事務方の公務員や、過剰にしばりのある自衛官や、訓練が仕事のような消防官とは異質な人材が集まっていたのだ。その理由は、戦後の旧軍人の雇用対策という面があったことが主な理由だが、それ以外にも仕事の内容も勤務時間も臨機応変な対応を求められる職場であるということもあったからだ。
理屈じゃなく、勘が必要とされたのだ。

それが変わってしまった。
国鉄はJRとなって、人気企業になったりしたものだから、頭のいい人ばっかりが採用されるようになった。
警察も、長引く不況には安定した公務員ということで、競争激しくなり、採用へのチェックも厳しくなって、頭のいい人以外採用できなくなった。まあそれでもまだ3K職場ってことで、地域によってては応募者が足りないところもあるが、それでも試験は厳格に執り行われる。大昔のように、筆記試験は形だけ、なんてところはもう存在しない。

できた当時はピカピカだった官舎も、いまじゃあボロボロ。
プライベート中であっても、ちょっと失敗すれば、全国紙&テレビニュース。
初期の両さんに出て来たようなお巡りさんなんて、冗談でもあり得ない(まあ当時だって実際にはいなかったけど、それでも笑えるくらいのリアリティは生活の中に存在していた。天才バカボンの拳銃を撃ちまくるお巡りさんもそう。西部警察みたいなのを今放送して、誰が見る? でも当時は大人も見てたんだ)。
警察のドラマを作ると、内部抗争や権力争いや人事差別に触れずにはいれれないような世の中で、どうして警察が思う存分働けるんだ?

無念なのは、亡くなった方だけじゃない、と私は思う。
きっと、いや絶対に、警察官たちも無念だったはずだ。
秋田県警の、取り違えた警官は、胸をかきむしるくらいに後悔しているはずだ。
まんまと保険金詐欺に利用された警官や鑑識も、「なぜ」と当時の自分を繰り返し思い返しているはずだ。

無念には「残念無念」に使われる意味の他にもう一つ、「無念無想」に使われる意味もある。
「念」とは「強い想い」という意味で、残念無念の方は「こんなに強烈に想っているのに、それが遂げられず、無になってしまう」ということ、「無念無想」の方は「すべての想い、あらゆる想いを消し。心を空にする」ということだ。

この世は、悔しいこと、納得のいかないこと、不公平、理不尽、で満ちあふれている。
「残念無念」が人生さ。
とも言えるが、そこでもう一歩踏み出して、そういうことを一切合切忘れてしまおう。
そう、
「無念無想」になってみる時間を作ることも、人生には必要だと私は確信している。



いろいろあるでしょうが、ここはひとつ「無念」になって、ってことでどうかひとつ。



終わり

0 件のコメント:

コメントを投稿