2010年11月11日木曜日

情報源は守るんじゃねえのかよ?

情報源は守るんじゃねえのかよ?

報道に携わっている人たちは、みんな誇りを持って仕事をして欲しい。
報道人・記者という存在が特別な存在だから。
だからマスコミは、みんなの憧れであると同時に、みんなから厳しい目でチェックされる。

まず正しい報道をしなければならない。
実際に起こったことを正確に伝えなければならない。
一部分だけを取りだして報道することによって、事実と違う印象を与えるような報道をするマスコミがあれば、そこは誰からも相手にされなくなる。

次に、起こった事実を分析する能力が問われる。
ターニングポイント(turning point)はどこだったのか。何だったのか。
それを『論理的に』説明しなければならない。
また、良い結果となった場合でも、何が良かったのか(内的要因)、あるいは周辺状況が変わったのか(外的要因)、を解析しなければならない。
これらはどちらも難しい作業となる。
マスコミの説明におかしな点がいくつもあれば、国民から見放されてしまう。
相手にされなくなってしまう。

そして最も重要なのは、そうした分析結果を今後にどう生かすべきなのか、というメッセージを発すること。
「○○をしたから」あるいは「□□をしなかったから」ダメだったんだ、だけでは、その報道は評価されない。
「なぜ」「こういう理由だから」、そして「次に似たようなことがあったときはこうすると、良い結果につながる可能性が高くなる、と私(たち)は考える」というところまで報道して、はじめて国民はそのマスコミ・記者を認めるようになる。

最後に、マスコミには子供たちへのメッセージも忘れないでいて欲しい。
「命は大切」「いじめはダメ」「戦争は絶対ダメ」「知らない大人は犯罪者」「ケータイが悪い」「インターネットが悪い」はメッセージではなくてお題目。

※題目:仏教経典の題号。大乗経典の題号は、それを聞き唱え念ずるとき多大の功徳がある、とされ特に重視された。/ (多く「お題目」の形で)口先だけで、実質のともなわないこと。「お―ばかり並べる」。/ 日蓮宗で唱える「南無妙法蓮華経」の7字。

「どうしたらいいのか」「どうするべきなのか」などという「解答・正解」を書く必要はない。子供たちを教え込むのはマスコミの役目ではないのだから。マスコミに与えられた仕事は、子供たちに考えさせる事実を報じ、それを通じてメッセージを発することなのだ。

マスコミが「勇気」をどのように報じるかは、子供たちへの圧倒的なメッセージとなっていることを忘れないで欲しい。
結果が良かったらすべてよし、結果が悪かったらすべてダメ、では子供たちに「勇気」の持つ価値を考えるメッセージを伝えることはできない。
代わりに、結果がわかるまでじっとしているのが最善、強いものには自らすすんで巻かれろ、なにも自分がやることはない誰かがやらなきゃならないのなら他の奴がやればいい、というメッセージが伝わってしまうことにもなる。

サッカーのことを考えてみればわかるだろう。
得点になったからOKではないのだ。
なぜ得点になったのか、あるいはならなかったのか。
それを考え、次へ生かすことが、サッカーを高めてきたのだ。
1点しか入らなかった試合より、10点入った試合の方が10倍面白いのかと聞かれて「うん」と答えるサッカー経験者はいない。
10-0の試合より、0-0の試合の方が面白い。
それがサッカーなのだ。
そして世の中も人生も、そういうもんだと私は確信している。



拝啓 マスコミさま
私たち一般国民には、世の中で起きている事件や事故、そして政治や経済の意思決定の現場を直接見聞きする機会など、ほとんどありません。そうした私たちに、世の中で起きたことを伝えてくれるのが報道人であり記者でありマスコミのインサイダーであるあなた方に期待されている役割なのだと、私は確信しています。
過去の名勝負を生き生きと伝え、私たちをワクワクさせ、考えさせ、「サッカーしたい」と思わせるサッカー記事(イギリスやブラジルに多い。残念ながら日本にはまだない。ドーハ系の記事なんて最悪)のように、世の中のことを私たちや子供たちに伝えてくれるよう、どうか宜しくお願いします。
                         
                             敬 具




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