2010年11月19日金曜日

いわゆるひとつのサッカーうぉっちんぐ

【いわゆるひとつの“広岡・森・野村的サッカーうぉっちんぐ”でしょうか~】

こういう見方の方が、これまでずうっと日本での主流だった「感覚的(長島茂雄的)」なサッカーの捉え方よりも、日本人には合っているのかもしれない。

「サッカープロフェッショナル超観戦術」
出版社: カンゼン
ISBN-10: 4862550592
ISBN-13: 978-4862550590
発売日: 2010/10/13
1680円


どんな本なのかまだ読んでいないのでわからないが、以下のような考え方を文章によって具体化しようと試みているのであれば、「外れ本(はずれぼん)」ってことはなさそうだ。
----------------------------------------------------------------
1人ひとり、いろんなタイプの選手がいるわけじゃないですか。相手もそうなんですけど、自分たちもそうですよね。攻撃する時には、自分たちのいいものを活かしたいわけで。もしFWが得点力のある選手ならば、そこを活かしたい。サイドハーフにスピードがある選手がいたら、そのスピードを活かしたい。そうした選手の長所を活かすやり方を、全部やれるのかと言えば現実にはやれない。なぜなら、自分たちのいいところを、相手はなにかしらケアしてくるからです。

自分たちのMFはビルドアップ能力が高いとする。そこをいつも経由しているけれども、相手がマンツーマンでMFについてくるという状況になった。それをどれだけの選手が、流れの中でわかって、それにどうやって対処すればいいのかをわかって、どういう選択肢をとれるのかどうか。もしも、そのCHのマークがMFにきついとするなら、マークされたMFが自分で気付かないといけないのは、「逆に俺がおとりになって相手のCHを連れてスペースを作ればいいんだ」と考えることです。

そうしたら、MFにマーカーがついてくるのか、ついてこないのか、やってみないとわからないわけですよね。もし、マーカーがMFにどこまでもついてくるようなら、MFを基点にしないで、中盤を飛ばして最初にFWにボール当てるなりして、直接FWにボールを入れるという別のビルドアップのやり方をやればいい。FWにボールが通るようになったら相手はまた何か対策を立ててくる。 

自分たちのサッカーをやり通せばいいんだとか、1つのことだけ、たとえばサイドから攻撃しようとそこに軸足を置いたとしても、サッカーって上手くいかないんですよ。試合は流れているわけで、常に、「見て」×「考えて」×「決定」をしていかないと。

自分たちも試合中に変化していくのですが、相手にも状況の変化は同時に起こっている。自分たちにとって嫌ところを潰しにかかったりとか。その状況の流れを読むという力は、日本の選手という言い方は、偏見かもしれないんですが、「状況の流れを読む」ということを小さい頃から教えられていないと難しいですよね。それを教えられる指導者が日本には少ないというのが、原因かもしれないんですが。「見て」×「考えて」×「決定」という思考が育てられてないと感じます。
----------------------------------------------------------------

私なりに要約すれば、サッカーはゲームなんだという“根っ子”を忘れてはいけない、ということだろうと思う。
試合では、練習でやったことを繰り返すのではなく、練習でやったことはやったこととして利用しながら、一期一会の新たなサッカーを創り出すのだと、そう基本概念を書き直した方がよいようなチームもいっぱいあったし、そうした固定観念に凝り固まってしまった子供たちもたくさん見た。
そういうチームや子供たちには、この本のようなアプローチで刺激して、サッカーをとらえる視点を再構築させてあげるのも一考かもしれないと思う今日この頃なのであった。


bye-bye

0 件のコメント:

コメントを投稿