2010年11月18日木曜日

ハイブリッド vs V8

ハイブリッド vs V8

朝日新聞国際面 世界発2010
2010年 平成22年 11月18日(木)

長髪の人プリウスでスタバに行ったよね──いかにも民主ね
じゃあやぼだけどシボレー乗った肉好きは?──きっと共和だよ
「あの人の支持政党の見分け方@米国」

菜食やサッカーが好きで、愛車がプリウスなら十中八九、民主党。肉食やロデオを愛する大型車ファンならきっと共和党──。米国では、生活スタイルを見れば支持政党がすぐわかると言われる。150年も続く2大政党の拮抗が日常に濃く深く浸透、両党の固定層の生活ぶりはかなり隔たっている。(米オハイオ州クリーブランド=山中季広)

投票所にあらわれた有権者の雰囲気から、民主党または共和党のどちらに投票するかを言い当てることは、米市民にはそれほど難しくない。黒人(アフリカ系)やヒスパニック(中南米系)は民主党支持が多い。白人でも、服装や身のこなし、乗ってきた車などから、それぞれの支持政党がかなりの確度で読めるからだという。

◆服装や車で推測

カリフォルニア州オークランドの警察官(52)によると、共和党支持者は概して身なりはやぼったいが、考え方が堅実で礼儀正しい。対して民主党支持者は、全体的に服装がカジュアルで、着こなしはだらしなく、自己主張が強い印象だという。当人は「アフガニスタンとイラクの戦争はどちらも米国の安全のためには必要な戦争で、ブッシュ前大統領を強く支持した」。愛車は米ゼネラルモーターズ(GM)社のシボレーで、趣味は銃収集。髪を短く刈り上げた根っからの共和党支持者だ。
「GMの大型車に乗ってガソリンを浪費するような人はまずまちがいなく共和党支持者です」。首都ワシントンの福祉団体で働く男性(42)は、好きな車種を聞けば民主か共和か推測できると話す。「トヨタのプリウスに乗るのは民主党支持層。ハイブリッド車は地球環境にやさしい。GMのハマーのような重量級の車が好きな人は共和党」
自身の愛車はスバル。「軽快なアウトドア志向が感じられるスバルの愛好者は、民主党層に際だって多い」。長髪に口ひげ、愛読紙はリベラル層に人気のニューヨーク・タイムズ。筋金入りの民主党支持者を自認する。

◆遠くなる両派

まがりなりにも政権交代が実現してまだ1年3カ月の日本と違い、米国の二大政党制は18世紀末までさかのぼる。中央集権の党と地方分権を訴える党が国論を二分した。民主党と共和党が大統領職を争う今の政治構造は19世紀半ばからほぼ変わっていない。
民間調査会社ピュー・リサーチ・センターによると、米有権者の支持は民主、共和、無党派がざっと3割ずつ。民主と共和の対立は選挙ごとに深まり、政治家だけでなく有権者までリベラルと保守に分かれて疎遠になりつつある。
たとえば民主党支持者の家庭では子供も民主党寄りの考え方に染まる。交際相手を選ぶ年齢になると、政治的に考え方の近い相手を選びがち。熱心な民主党支持者と熱烈な共和党支持者との結婚は年ごとにまれになり、「いかにして共和党の夫と長く連れ添ったか」などという民主党支持の女性の手記が話題を呼ぶ。

◆見る番組も別

進学先や就職先を決めるときはもちろん、車や服、本や映画を選ぶ時でもなるべく自分の政治信条に合った雰囲気のものを探すのが普通だ。
コーヒー大手スターバックスに通ってカフェ・ラテを飲む行動は米市民に言わせると「何とも民主党的」。創業家が共和党を支えてきた醸造大手クアーズ社のビールを飲むのは共和党寄りの印と評される。よく見るテレビ局も、民主がリベラルなMSNBCなら、共和は保守論調のFOXと別々だ。ウディ・アレンやマイケル・ムーアといった監督の作品は、共和党支持層には人気が低い。

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「交わらぬ日常」分析本出版者

オハイオ州クリーブランドに住む公認会計士ジョセフ・フリードさん(60)は長年、共和党支持層と民主党支持層の実生活上の違いを分析し、2年前『民主と共和/誇張と現実』という本を出版した。
フリードさんによると、熱心な共和党支持層は、祝日に国旗を掲げ、献血に協力的で、納税額が高い。他人の善意をあまり疑わず、近隣の人々に親切。家には銃を置いている。所得や年齢にかかわらず、自分を「幸せ」と感じる傾向が強い。ただ同性愛者の結婚や大麻の合法化には根本的に反対。聖書の教えに忠実で、ダーウィンの「進化論」になお得心がいかない。
一方の民主党支持層は、貧困対策に熱心で、外交問題に詳しい。各種の政治デモにも積極的だ。半面、子供を軍に入れる意欲は低い。自己愛が強すぎるのか職場で怒りを爆発させることがある。成人映画やギャンブル、宝くじを好み、結婚前に妊娠に至るカップルが少なくない。
「ほんの20年前まで、昼間の討論会で攻撃しあった民主と共和の候補にも、夜は酒場で肩を組んで酌み交わす余裕があった。それが消え、今は政治家だけでなく市民までが保守かリベラルかで対立する時代になってしまった」
そう嘆くフリードさんによると、各人の政党支持は必ずしも親と同じとは限らない。要因としてはほかに「高校や大学での友人の影響」「就いた職業」が大きいという。

※得心(とくしん) 十分に承知すること。納得。
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以下は同記事に掲載されていたイラスト
身近な品々にみる「民主らしさ」「共和っぽさ」





政治は世の中を写す鏡だと言われる。私もその通りだと思う。政治体制に関わらず、その社会を形作っている関係性の縮図が、まさにその集団における政治状況なのだと思う。
現在、日、米、欧の先進諸国では軒並み政治が混乱している。そしてアフリカや南米、そして日韓をのぞくアジア地域では独裁体制が強化されている。
私たちが暮らしている今、この時代は、民主主義のその正当性が大きく揺らいでいる時代なのだ。
ま、もともと民主制ってのは“正しい判断”を見出すためじゃなくて、結論に強制力をもたせる(結果に責任をもたせるとも言う)ための「手続き」として誕生した仕組みだから、結論=終わりになってしまうかもしれない遭難しそうなときとか、船が沈没しかかっているときには機能しなくなるものだ(責任が意味を持たなくなるから)。逆にそういう困難・混乱状況のときには、独裁的で強引な意思決定に拠らないと状況を進めることができない。

サッカーにも同じような事が言える。負けているときに必要なのは、強引でワンマンなリーダーだ。みんなの気持ちがわかる物わかりのいいやさしいキャプテンは、実力的に他を圧倒しているような“比較優位”チームじゃないと、かえってチームの可能性を奪ってしまうから要注意だ。OB会に呼ばれない(出席しない)ような奴の方が、劣勢のときにはチームを鼓舞できる可能性がある。

「私は自民党支持者じゃないけど、小泉は応援してる」とか「自民党が嫌いだから民主党へ入れた」とかは、結局、自分の投票によってもたらされた結果に対する責任から逃れているに過ぎない。
瀕死の状態にあるのは自分自身なのだ。そして投票とは、AとB、どちらの医者に自分の手術を任せるかの意思表示なのだ。
上に書いたことの繰り返しになるが、テストで回答数の多い答えが正解にならないのと同じように、民主主義に基づく選挙という仕組みでは、正しい判断が得られるわけではない。しかし、その医師に自分の手術を任せた以上、手術室を出るまではその医師を信じるしかない(結果、手術室を生きて出られなかったとしてもだ!)。

私たちは今、おぼつかない手つきでメスを持つ医師を見上げながら、開かれた自分の腹が無事に閉じられ、また再び生きて手術室を出られることだけを神に祈っているような状況にある。
そんな時に「ヘタクソ!」とか「この切り口は失敗したんじゃないか!」とか「お前には医者としての能力が足りない!」とか非難するのは自殺行為だ。うまくおだてながら、信頼してるふりをしながら、とりあえずでも無事に手術が終わるようにもっていかなければ、失うのは自分の命なのだから。

まあそれでもレンホーとかヒガシとかに権力を持たせるのは、どーかと思うが。
周囲の同級生が将来を考えている中、グラビアアイドルやお笑いタレント目指し、なおかつ実行に移すという人間の資質ってのがどういう傾向にあるのか想像できないのだろうか?
レンホー議員の地元ってどこ? 「どげんかせんといかん」はずだった宮崎県はどげんかなったの?
その辺どうなのよ、東京都民、宮崎県民、と聞いてみたい。「俺は、私は、投票しなかった」では言い訳にもならない。民主主義というのは、多数を取らせたことについて、皆が責任を負うという制度なのだから。

桶川東口の稲荷神社そばのアパートの前に、走り屋仕様のプリウスがとまっている。
私は、ああいう発想を実行できる勇気(鈍感さとも言う)こそが、サッカー選手に必要な資質だと確信している。
プリウスを走り屋仕様にする発想なんて、常識人には絶対に思いつかない。
走りを志向するなら、それこそランエボでもインプでもいいじゃないか。なんでプリウスなんだ? 悲しいかな凡人の私には、それが理解できない(セザンヌがリンゴを描き、マラドーナが手を使ったことと同様に)。でも、それこそが、“決まっていた結果・試合”をひっくり返す力になりうる可能性のタマゴなのだ。

それは、プリウスにV8を乗せる発想とも、ハマーをハイブリッドにする発想とも異なる。
言ってみれば、ハイブリッドでありながら、V8よりもトルクフルなエンジンみたいなものだ。

サッカーにおいて組織か個人かというのは、政治においてリベラルかコンサバかと言っているようなものだ。
今求められているのは、両者の融合、つまりハイブリッドされた姿なのだという視点に立って、物事を考えてみる必要に、私たちは迫られている。必要なのは、プリウスかハマーかではなく、ハイブリッド・ハマーなのだ。

そう思うとき、私は神に祈らずにはいられないのだ。
どうか、神様。
菅直人と仙谷由人が踏み出す足の下に、バナナの皮を置いてください。そして、倒れる頭の下に、お豆腐を置いてください、と。



おわり

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