2010年11月28日日曜日

強いことは暴力じゃない。

2010年 平成22年 11月27日(土)
北本市の総合スポーツ公園横の体育館ホールとその前庭で、こんなことをやっていた。

国民保護実動訓練
鴻巣市内で新幹線の車両爆破事件が発生し、犯人グループが、鴻巣駅前の商業施設に人質を盾に立て籠った場合を想定し、避難誘導や救護・搬送等の実践的な訓練を実施し、関係機関相互の連携を確認することを目的にしています。


わたしは自衛隊を、「軍隊の未来形」だと考えている。そして信頼し、心の中では応援もしている。
自衛隊のどの辺が「軍隊の未来形」なのかというと、「やさしさだ」を私は答える。

自衛隊は敵を倒す軍隊ではなくて、困っている誰かを実力的に救う軍隊である。
私とは異なる考えを持った政治家が、自衛隊のことを「暴力装置」と表現したようだが、これは彼(彼女)らが、自衛隊=軍隊=他国の軍隊や旧来の軍隊、というイメージから抜け出せていないせいだと思う。

柔道や空手で訓練していることを「暴力」とは呼ばないのと同じで、軍隊の訓練や装備は「暴力」じゃない。
何が「暴力」なのかは、「誰が」その力を行使するかに拠(よ)る。
「暴力装置」とは、スイッチを入れれば暴力が発動される装置・機構という意味だ。
確かに他国の軍隊や以前の日本軍では、そういうことも起こりうるだろうし、歴史上もあった。

しかし自衛隊にそれは起こりえないのだ。
なぜか。

それは、拳銃を携帯している警官が、拳銃を撃たない日本だからである。
「使命感への信頼」と言ってもいい。

史実がどうであるかとは関係なく、日本人は「侍(さむらい)」や「武士道」、「道」、そしていろいろなヒーロー物の影響を大きく受けている。
「もはや日本人の心が“そう”なってしまっている」のだ。

この「“そう”なっている」の“そう”とは?

カッコイイ、カッコワルイ。
いいこと、わるいこと。
すべきこと、すべきでないこと。

こういうことを心が感じる感覚の共通物差しを、私たち日本人は持っている。
だから自衛隊は暴力装置にはなり得ない。
そもそも、そんなスイッチなんて、どこにもないのだから。

自衛隊は、軍隊の未来形だと、私は確信している。
それはやさしくて強い軍隊。
歴史の必然として日本の地に誕生したそれは、今まさに育っている途上にあるのだ。




当日指導・補助活動をされていた自衛隊員の皆さんらと、展示されていた特殊車両たち。

高機動車
略称 HMV
愛称 疾風(はやて)
製作 トヨタ自動車

82式指揮通信車
略称 CCV
愛称 コマンダー
開発 技術研究本部
製作 小松製作所

軽装甲機動車
略称 LAV
愛称 ライトアーマー
開発 技術研究本部
製作 小松製作所












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