毎年プロ野球の契約交渉で息詰まると、選手側がよく口にするのが、
「こんな金額では、子供たちに夢を与えられない」
みたいな言葉だ。
宝くじの宣伝でも、『夢の3億円!』みたいな文句も目にする。
しかし、金(かね)は夢たりうるだろうか?
使えないお金、例えば北朝鮮のお金とか、ジンバブエ@アフリカのお金とかをどっさりもらって、それでもいいのかな、と考えてみれば、いやそれはヤダってことにならないだろうか。
でも、例え日本では使えないとしても、それは立派、かどうかはわからないが、お金であることは間違いない。
では今度は、「夢は日本円で大金を得ること!」に書きかえてみよう。
日本円で大金をあげますけど、あなたの好きには使えませんよ、という条件ではどうだろうか。
誰かの代わりに一生刑務所の独房に入るとか、大金と一緒にどこかの無人島に置き去りとか、全知覚と手足を奪われるとか、そういう状況で大量の日本円をもらって、夢が叶ったと言う人はどれくらいいるだろう?
「いや、そんな屁理屈じゃなくて、もちろん自分が好きに使える日本円をたくさん手にするっていう意味に決まってんじゃん」
話はそう簡単じゃない。
好きに使うといっても、買える物やサービスは、今売っているもの提供されているものに限定されるからだ。
釣り針を売っていなければ、どんなに大金を積んだとしても、アジ一匹手にすることはできない。
どんなに大金を積んだとしても、治らない病は治らない。
考えてみれば、「大金は夢だ」と言っている人も、たぶん本当に見ている夢は、大金の先にある「何か」なんだろう。
自分の周囲はそのままで、自分だけが大金を持っているような状況を想像して、それを「夢」だと思っているのかもしれない。
プロ野球選手やプロゴルファーが大金を稼げるのは、そのスポーツが興行として成功しているからであって、そうじゃない場所や時代だったらプロ野球選手もプロゴルファーも存在していない。
同様に、日本のサッカー選手の多くが経済的に恵まれていないのも、サッカーという競技が、興行としてまだまだ成功したとはいえない状況にあるからだ。
レッズの阿部がイギリス1部(日本のJ2相当)のレスターへ、3年間6億円の契約で移籍した。
これは興行としてのJリーグが、イギリスの2部にもはるかに及んでいない証でもある。
テレビの放映枠争いを考えたとき、ゴールデンの枠をサッカーが奪えるとは思えない。
むしろ日中の枠を確保できるように、試合のスケジュールを組み替えるべきだと思う。
平日の昼は大人だけが観戦し、週末は親子連れが観戦する。
こういう姿こそが、日本のプロサッカーリーグのあるべき姿であり、興行として成功する唯一の道であるような気がする。
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