2010年9月9日木曜日

心のトレーニング(結)

心のトレーニング(結)

【どうすりゃいいのさ?】

前に書いたように「躁鬱病型」というのは「自分」が世界の中心になる心のありかただ。

「世界の中心」といっても、「皆、我にひれふすが良い」「目標は世界征服じゃ!」ということではなく、「物事をとらえるとき、考えるときの基準点が自分の中にある」という意味だ。

だから、プレーに対して自分ではどう評価するのか、などをさりげなく聞いてあげて欲しい。

この「さりげなく」というのがポイントで、基本的に今の子は「分裂病型」なので、みんながいる前で「お前はどう思う?」なんて聞くと、心の中では無意識に「みんなはどう思ってるんだろう? ぼくの答えがみんなと違っていたらどうしよう」と反応してしまうからだ。
こっそりと聞いてあげることで、その子の心の中には「自分の考えを口に出す」という経験値が蓄積される。これに慣れていくと、「分裂病型一色」だった心の基本パターンに、違う風の吹き込む窓があいてくる。窓が開けば、よどんだ空気も入れ替わる。

「ねたみタイプ」というのは、悪い意味での平等主義だ。

みんなもぼくと同じはずだ、という世界観にしばられてしまって、人間はそれぞれ違うんだということを認めない。

身のまわりでもいないだろうか? 他人の財布のことをやたら気にするような人が。テレビに出ている人を見ては「こいつはいくら稼いでるんだろう?」と面白くなさそうにつぶやいているような人だ。
さすがに小学生ではそこまでの人間はいないだろうが、欲しいものを問われて「お金」と答えるような子は、こうした大人の予備軍だ。「お金」を「自ら稼ぐもの」ではなく、「天から降ってくるようなもの」「運が良ければたくさん手に入れられるもの」と認識している証だからだ。





自分以外の人間が自分よりたくさん稼いでいることを認めたくない。
他人が資金や地位を失うことで快感を感じる。

私としては、こういう子はあまり増えて欲しくない。
そのために、少年サッカーにたずさわる大人の方々には、どうか子供たちの心を「ねたみタイプ」から引き離し、「うらやましタイプ」へと誘導してあげて欲しい。

「うらやましタイプ」とは、「○○ちゃんが持ってるアレ買って~」という、まさに本来の子供が持っている心のパターンそのものなのだ。

他人(自分以外の人間)を「うらやましい」ととらえることは、その他人に対してライバル心・競争心を抱くということだ。
あの子に負けたくない、と思う心が向上心を生む。
「別に~」「どーでもいいし~」「どっちでもいい~」「関係ないし~」では、向上心は生まれない。

と、ここまでくれば指導のノウハウは見えてくる。



【長所でグループ分けする】

「子供たちの長所を見出し、それを褒めて伸ばす」は向上心を刺激するという面では不十分だ。いやむしろ逆効果になる可能性の方が高い。ややもすると「世界にひとつだけの花」になってしまうからだ。

「世界にひとつだけの花」でいいとなると、もうそこに競争は生まれないし、改善・向上といったベクトルも働かない。

そうではなく、例えばキックの正確な子たち数人をグループにして、「おまえたちの素晴らしいところは、キックがとても正確なところだ。ちょっとみんなに手本を見せてやってくれ」という機会を設けてやる。
そうすると、そのグループに選ばれた子供らは「ぼくの長所はキックが正確なところなんだ」と自覚しつつ、そのグループ内で「長所の競い合い」を生じさせることができる。
そのときは表にあらわさなくとも、キックの正確な者同士の中で「負けたくない」という気持ちが芽生える。
これが「うらやましタイプ」の心のパターンを刺激するのだ。

こうした「長所グループ」をいくつも作る。子供らはいろんなグループで重なってもいい。
大事なのは「自分の得意なことで他人に負けたくない」という感情を感じさせることなのだから。


日常のトレーニングの中に、こうした工夫を忍ばせることで、子供たちは競うことを恐れなくなる。少なくとも、「がんばるってことは、自分ががんばるってことなんだ」ということを知ることができる。「他人が下手になったから、つまり他人が落ちてきたからといって、自分が上手くなるわけでも、自分が高い位置にのぼれるわけではない」ということを知ることができる。


自己愛が傷つくような結果や状況に、子供たちはこれからいくらでも出会うだろう。
なぜならそれが人生なのだから。
しかしその時に、傷ついた自己愛は自分の力で直せるのだ、修復できるのだ、と経験的に知っているかいないかでは、大きく対応が違ってくる。

「サッカー」というワールドスポーツは、そういう経験を学ばせるのに最高のツールだと、私は確信している。

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