2010年9月9日木曜日

心のトレーニング(承)

心のトレーニング(承)

【人間は自分が好き】
アメリカの心理学者 ハインツ・コフートは、
自己愛が傷つくことで生じる怒りを『自己愛憤怒(じこあいふんど)』と名づけた。


人間は自己愛が傷ついているときには、その自己愛を修復しようとこの自己愛憤怒に陥り、攻撃的な感情が高まる。
自己愛が傷つけられたとき、人は自分より優っている人間が失敗して勝者の座から滑る落ちることに快感を覚える。

ひとりっ子が増え、ゆとり教育と少子化で競争の弱まった現在の日本は、『とても傷つきやすい自己愛』の蔓延した社会となっている。
つまり『ねたみタイプ』の空気、風潮、意見、そして笑いやストーリーが受け入れられやすい傾向にある。

日本で自殺者が増えているのは、リストラや就職難、未婚化で、深く自己愛を傷つけられ、自責の念にかられたり、恥の意識に支配されてしまう人間が多いからに他ならない。

また35歳以下では、相対主義的な分裂病型人間(みんなはどう思ってるんだろう型人間)が圧倒的な割合になっている。
彼らは簡単に他人(2次元や組織も含める)を理想化したり神格化したりする。彼ら彼女らはライバルにはならない。なぜなら「別次元」の存在だから。
そして、ひとたびその神格化した他人(存在)が、「実はダメじゃん」とみなすと、とたんに手のひらを返し、みんなで一斉にバカにし始める。いわゆる日本でいうところの「バッシング」という奴だ。

◆2種類の嫉妬

うらやましタイプ 

「いいなあ。それ欲しいなあ」「おっ、すげえ。でもオレだって負けてないぞ」
自分の努力で上にあがってやる。あいつより上手くなってレギュラーになるぞ。

ねたみタイプ 

「ちくしょう。なんであいつばっかり。あいつもオレも変わらないはずなのに」「あいつはたまたま運がよかっただけさ」
他人の足を引っぱって自分より下に貶めよう。あいつがケガをすれば僕が試合に出られる。

レギュラー固定、ポジション固定は、専門性を高めるが、ねたみタイプの嫉妬を生み出しやすい。
ねたみタイプの成功体験は、自らは努力することなく上の座を勝ち取れるので得をしたように見えるが、現実には自分の力は伸びていないので、能力そのものはどんどん落ちていく。組織全体に蔓延すれば、その組織は衰退する。これがいわゆる大企業病というやつである。

J下部組織がもしも名門私立大学の付属校群のようなエスカレーターになったら、もはやそこからは、ひとりたりともまともなサッカー選手は育たないだろう。



そもそも自己愛に支配されがちな人間という生き物には、自分より優位に立った(同種の存在である)人に対してある種のいまいましさや破壊衝動を抱く傾向がある。
この「同種の」というところがポイントで、時代や地域や人種、分野、性別が異なったりすると程度は変わる。これには大きな個人差がある。
自分が大切に思っているジャンルで自分よりも上の人間がいることで、その人の自己愛は傷つく。
自己愛が傷つくとある種の「生理的反応」が働き、「傷ついた」原因に対し、人は攻撃性を発露するようになる。

この攻撃性が自分へ向くのか他者へ向くのか、努力へ向かうのか、足を引っぱる方へ向かうのか、この違いがとても重要。

自分たちが優秀であると思っている人たちは、なまじ自らの能力に自信があるだけに同じ集団内で相対的に落ちこぼれると、自己愛が非常に傷つく。
自分よりも上の人間がいることに耐えられないのだ(要するに、逆に言えば、こうした人たちにとっては、自分が上に立っているという意識が自己愛の根元になっているということ。そうした意味で、私はJ下部チームがトップと同じデザインのユニフォームを着ることには反対だ。妙な自己愛の増長は健全な精神を歪めるし、そもそも彼らは育成時代の所属チームにしばられるべきではないのだ)。
名門進学校やスポーツの強豪校、Jのジュニアユースやユース、タレントの卵、などがこうした形で自己愛が傷つくと、不登校や不良化といった形でその集団から逃避する。あえて素行で問題を起こすことで、自分が認められないのは己の能力に原因があるのではなく、それとは別のところに原因があるのだ、と自分に思わせることで自己愛を守ろうとする。

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