2010年6月16日水曜日

男はタフであることを楽しんでこそ男である

いくら肉を食わせようが、体格的な成長面で限界があることを「育成」ではどうすることもできないし、いくらボールを使った練習をさせようが、ゲーム形式の練習をさせようが、技術やセンスの面での限界を「育成」でどうこうすることもできない。もしそんなことができてれば、南米やヨーロッパの少年サッカー選手は全員、すばらしい体格のすばらしい選手になっていなければならないことになるのだが、そうはなっていない。悲しいことに。

まあこれはサッカーに限ったことではなく、勉強でも、音楽でも、車の運転でも、なんだって同じこと。

でもやってみなけりゃあ、最終的な限界や、向き不向きみたいなものはわからないってことが、少年サッカーで指導を担当している方や、少年サッカーチームで頑張っているお子さんたちの親御さんらに、どこまで踏み込んでいって良いのかっていう迷いを生じさせている。

私の考えでは、子供も、大人も、自分が楽しいと思っている間は、ガンガン突っ込んでいくべきだと思う。
楽しくなくなったのに、それまでの投資分を回収しようなんて姑息な計算をして、引っ込みがつかないまま歩みを進めるのは、人生を損することになる。

いま語っている「楽しい」ってのは、遊んでて楽しいとか、ゲームやってて楽しいとか、友だちとバカ話をしてて楽しいとか、そういうレベルのはるか上にある「楽しい」を言っている。

話変わって、目指しているところが、もし仮に、ヨーロッパの一流リーグでレギュラーを張れる選手に育ってくれること、にあるのだとしたら、育成で最も重要視される目標は、精神的なものとならざるを得ない。

体格や技術が最終的にどうなるかわからない以上、もっとも確実なのは、たとえどんな状況や環境になったとしても、自分のベストを見失わない胆力を備えること、これしかない。

南米の子だろうと、アフリカの子だろうと、将来が約束されているわけじゃない。
どんなにスカウトが甘い言葉をささやいたとしても、本当の将来なんてスカウトにわかるわけがない。
もしそんな能力を持った人間がいたら、スカウトなんかに甘んじてるわけがないんだから。

コーチや親にできる、最も子供のためになることは、コーチや親がいなくても、ちゃんと自分でできる子に育てることだ。これは大きな矛盾をはらんでいる。でも、それが子供のためであることに間違いはない。

たとえ離ればなれになったとしても、その子とコーチや親をつないでいるのは、どんなサッカーを「楽しい」と思えるか、あるいはサッカーのどんな瞬間を「楽しい」と思えるか、そういう、言葉では表現できないような世界の感覚、価値観、世界観、なのではないだろうか。




今日逮捕された、商工ローン大手SFCGの大島元会長は幹部会議でこんなことを言っていたそうだ。

「貧乏人ほど金にルーズなんだ。貧困不況支援の仕組みと補助金について徹底的に調べろ。そこで稼ぐぞ」



「貧乏人ほど金にルーズ」これってけっこう真理をついていると思う。
サッカーに変換すると、ヘタクソほどサッカーにこだわらない、とか、ひとつひとつのミスにルーズとか、そういう風になるだろうか。
おそらく貧乏人は、「お金」が「楽しくない」から雑に扱うんで、その結果貧乏なのだ。
大島元会長は、「お金」が「楽しい」から、こだわりを持って大切に扱い、その結果資産家となった。
同じ理屈で、ヘタクソは「サッカー」が「楽しくない」からこだわらないんだし、ミスにもルーズであり、いい選手は「サッカー」が「楽しい」から、徹底的にこだわるし、手も抜かない、その結果さらに上手くなる。

「楽しさ」とは努力して得られるものなのかどうかについてはまた別の機会にして、今回はとりあえず、「楽しさ」の上にある「楽しさ」を知るには、タフじゃなきゃだめっ、てことで終わり。

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